−連載コラム−
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台湾独立の胎動 No.H
−「新台湾と日本」取材班

「台湾の松下幸之助」の親日
 
 許文龍氏は、現総統について次のように述べられた。
「陳水扁は、確かに、反日教育を受けた世代ですが、今一番必要なパートナーは日本であるという意識が強いです」
 許文龍氏も陳水扁総統の親日を確信しておられる。許氏は、国民党の李登輝氏の強力な支援者であったが、総統選挙では、民主進歩党の陳水扁氏を支持し、その勝利に大きな役割を果たした。

 許文龍氏が会長を務める奇美実業は、その主要な工場を台南市におく、世界最大のABS樹脂の製造メーカーである。その生産量は、世界第二位の米国のGEにも大きく差をつけ、日本の大手十社分を全て合計しても勝てないほどのものである。許文龍会長は、この会社を一代で築き上げ、「台湾の松下幸之助」と呼ばれている。
 許氏の会社の社員教育の特徴は、とても親日的なことである。

「私が社員教育でとくに植民地時代の日本についてしゃべるのは、反日教育を受けた人たちの解毒剤としてまず正しい観方をしてもらうためです。うちの会社というのは三菱が若干投資している。三菱の会長がうちの役員になっている。それくらいうちの発展というのは、日本と切り離せない関係にあるわけです。しかし、従業員というものは、日本は悪いことをした、という教育を受けているから、会社の発展ということを考える上においてもこの教育は大事なんです」
 しかし、許会長は、日本と「切り離せない」のは、奇美実業だけではなく、台湾経済全体もそうであると説く。

「これは、奇美実業に限らず、台湾の戦後から今日までの発展というのは、我々日本の教育を受けた世代、特に職業学校を出た技術者(許氏は工業学校の機械科)が、アメリカの爆撃によって廃墟になったところから、それを復活させて今日の台湾をつくったわけです。また、戦後の技術、今の新しい工場というのは、全部距離的に近い日本から来たわけですよ。この十年間くらいで、初めてアメリカのハイテクが入ってきましたが、それまではほとんど日本です。ただ、そのことを政府はあまり言いたくない。ですから、表向き一般の人はあまり知らないけど、ほとんど日本の技術、日本の設備、日本の半製品でもって加工していろいろなものをつくって輸出する。そういう時代がずっと続いてきたのです」
 許氏は、戦後の台湾企業の成長の要因に日本との関係があったことを、客観的に分析しているのである。

後藤新平の銅像をつくる

 許氏は言う。
「台湾人は過去の認識について、ほとんど政府の言うままでした。当然、反日ですから日本の植民地時代は搾取されたということになります。それに対して我々の世代は不満があります。我々は、かつて日本人だったし、良い教育を受け、台湾の今日の発展は植民地時代五十年によって近代化の基礎が作られたおかげなのです。台湾に貢献した日本人はたくさんいますが、私は、その中でも後藤新平の功績は際だったものだと思います」

 後藤新平は、第四代台湾総督児玉源太郎の民政長官として、七年間台湾で善政を敷いた人物である。
 日本統治以前の台湾は、マラリヤ、赤痢、チブス等の伝染病が流行し、当時の台湾人の平均寿命は僅かに三十歳でしかなかったと言われている。また、阿片吸引者も多く、人々の生活は荒んでいた。
 そこで、後藤新平は、徹底的に台湾の衛生環境と医療の改善を行い、伝染病や阿片の撲滅に努めたのであった。

「台湾は、ずっと無政府状態だったんです。清の時代も都市だけを押さえるのがやっとでした。台南の城は夕方五時以降は門を閉めます。しかし日本時代になり、特に第四代総督児玉大将時代に後藤新平が来てから一挙に治安、衛生がよくなりました。それは、彼が台湾に合ったやり方を選択したからです。
 当時の台湾には、大地主の下に中間搾取層があり、彼らが反日を扇動しました。日本が来たら搾取ができなくなるからです。後藤は、彼らの土地をお金で買い取り小作人に分けました。このため、小作人たちは小作料の支払いが減り、生活が楽になりました。また、阿片を専売にして、徐々に減らす方法を取り、地方のボスに販売の代理権を与えました。そして、その代わりに、彼らに治安の確保をまかせたりしたのです。阿片を売った収益は、台湾衛生事業施設の経費に当てられました。

 後藤新平こそは、台湾近代化の父と呼ばれるにふさわしい功労者だと思います」


 許氏の後藤新平への評価はすこぶる高く、識者を集めて、後藤新平国際シンポジウムを開催されたほどである。


 許氏は、奇美美術館のオーナーとしても台湾でよく知られているが、後藤新平像はここにも展示してある。この美術館には、奇美実業の収益によって膨大な数の世界の芸術品が収集されており、八階建ての巨大な建物を使っても展示できるのは、その美術品の僅か四分の一程度にしか過ぎないという。その美術館にビクトリア女王やジュリアスシーザーの像と並んで、後藤新平の像が展示されているのである。正に、許氏の後藤新平に対する思いの深さを知らされるような一事である。
 ちなみに、この美術館の入場料は無料で、美術館には、いつも多くの子供たちが列をなして参観している。 許氏は、美術館をつくった動機について、子供のように目を輝かしながら次のように語った。

「子供時代、台南に日本人がつくった博物館がありました。無料で見せてくれたので、私はいつも行っていました。日本は、人口十万人足らず(当時)の台南に博物館や精神病病院や伝染病病院をつくったのです。日本時代に通った博物館の思い出が私には忘れられません」


陳水扁総統のメッセージ
 
今回インタビューした陳水扁政権の二人の国策顧問は共に親日的であったが、我々の知る限りでも、親日的な考えを持った人々が総統の周囲にかなりいる。日本で活躍するJET日本語学校校長の金美齢女史も国策顧問であるし、総統府の最高顧問である彭明敏氏も親日家であるという。また、東方工商専科学校校長の許国雄氏は、国民党の評議委員(顧問の上の最高幹部)を務めながら陳政権の行政院(内閣)顧問である。
こと対日政策に関しては、李登輝前総統の路線から大きな変更はなさそうである。
 しかし、我々は斯かる状況に決して甘えてはならない。台湾側の好意に応え、今度は日本側が為すべきことを為す番である。

 陳水扁新総統から日本国民へ、我々は次のようなメッセージをお預かりした。

「総統と国民党主席の職務を退任した李登輝氏は、母校・京都大学や古い友人を訪問するために訪日の良い機会を待っておられます。日本は中共(=大陸の中国共産党政権)をそんなに恐れることはありません。日本は『国格』を持つべきです。政府も国民も尊厳を持ち、中共の奏でる音楽に従って踊る必要はありません。日本政府が、独立主権国家としての国格と尊厳を喪失させようとしている中共を恐れることを、我々は誠に遺憾に思います。日本の世論や、国会と国民が立ち上がって政府に影響を与え、現状を突破されることを、私個人としては大きく期待しております」
 
 取り方によっては、日本側に対して失礼、とさえ思えるほどの非常に厳しい内容のメッセージである。しかし、日本は台湾に対してこれ以上の非礼を幾度も繰り返してきたのである。

 李登輝前総統の来日実現は、日台友好を前進させる上で、どうしても越えなければならない重要なハードルであり、日本人はこのために大いに力を尽くさなければならない。


※許國雄著 『台湾と日本がアジアを救う−光は東方より』のご紹介はこちら

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