−連載コラム−
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台湾独立の胎動 No.G
−「新台湾と日本」取材班

陳水扁総統の好意

 新総統に就任した陳水扁氏は、初めて野党から誕生した総統であり新生台湾の期待の星である。
 しかし、陳氏は、戦後の国民党の反日教育で育った世代であり、日本に対してどのような考えを持っているのか、日本では心配する人も多い。陳氏は、総統選挙の最中にも、台湾人の元日本軍人、軍属の集会に出席して、日本政府を強く非難した、と報じられている。また、総統の周囲を固める人材は、日本に馴染みの薄い欧米留学組の若手が多い、との情報もあり、李登輝前総統時代のような親日的な政策が継続されるかどうかは不明であるとされているのである。果たして真相はどうなのであろうか。

 我々は総統府において陳水扁総統にインタビューを行った。
 総統は、日本と台湾の関係については、
「台湾と日本政府は、地理的にも近く、もっとも親しい隣国同士です」
と日本との友好をアピールし、日本統治時代について次のように述べた。

「台湾の歴史は、それほど長くはありませんが、その間にさまざまな外来の統治も経験しました。日本統治はその一つですが、五十年という長きにわたるものでしたので、その影響は不可避的なものです。ここ総統府は、日本時代の総統府の建物であり、さらにその近くに台湾帝国大学病院の建物があり、今は重要古跡に指定されています。こうした建築物だけでなく、社会全般にわたって日本の影響は色濃く残っています。今でも年配の人は普段の会話の中に日本語が混ざっていますし、カラオケで日本の懐メロを楽しむ人も多くいます。このように日本統治の影響はかなり大きいものでした。台湾はこの日本からの影響も含め、オランダ、スペイン、明、鄭成功、清朝、国民党政府のそれぞれから影響を受けてきており、多元文化のるつぼとして独特の海洋文化を形成してきたといえましょう」

 即ち、日本時代は、決して特殊なものではなく、明、鄭成功、清朝、国民党時代と同じく台湾への影響を与えてきたものの一つだとの回答である。

 また、最近の、哈日族(日本へ熱烈に憧れる台湾の若者たち)現象についても、「ケンタッキー・フライドチキンやマクドナルドに興味を持つ」ことと同じであり、「流行、ファッション」の一つである、とされた。

 総統の支持母体である民主進歩党が議会で少数派だからであろうか、それとも戦後の国民党の教育を受けてきた世代だからであろうか。李登輝前総統のように日本時代への特殊な思い入れのある話はなく、一言一言を極めて注意深く客観的に表現された。しかし、我々にはこれらの言葉も非常に好意的に感じられたのであった。
 実は、我々は今回の台湾取材の間に、陳水扁総統が親日的である、二つの実感を掴んでいた。

 その一つ目は、平成十一年、台北市長であった陳水扁氏が第七代台湾総督明石元二郎をはじめ、日本人墓地の遺骨を収集し法要したことである。台北市の日本人墓地には、戦後大陸から渡って来た外省人が勝手にバラックを建設し住みついていた。しかし、彼らを強制退去させ、日本人の遺骨を改葬したのである。

 二つ目は、芝山巖にあった伊藤博文総理の揮毫の六士先生(台湾教育の魁となった六人の日本人教師)の殉難記念碑の再建計画を準備したことである。この碑は、戦後国民党によってなぎ倒されて後、数十年間放置されていたが、台北市長時代の陳水扁氏によって再建計画の予算が通過させられていたのであった。我々が取材に行った際には、巨大なコンクリート製の台座が工事中であった。

 
この二つは、これまで数十年間いかなる台湾の為政者も為し得なかったことであり、大きな政治的決断であった。しかし、今回のインタビューの際には、総統の側からは一切その話は出なかったのである。総統は、我々がお礼を申し述べると、ただかすかに微笑された。
 陳水扁総統は日本に対する好意を、黙って行動で表してくれていたのであった。。


国策顧問の日本観
 
では、欧米留学組が多いとされる、陳総統の側近はどうなのであろうか。
この件について、総統府の国策顧問である黄昭堂氏にうかがってみた。
 黄氏は笑顔で答えられる。

「そのことなら大丈夫でしょう。総統府には、日本のことを大事にしたい人がたくさん入りました」  では、かくおっしゃる国策顧問の一人黄氏ご自身は、日本に対してどのような印象をお持ちなのであろうか。
「私の日本の経験というのは、十三歳までですね。とにかく印象としては日本人というのは威張るなあ、という感じだったのですね。で、そういう経験をしたせいかもしれないけれども、以降、私は威張る人は、どういう人であろうとも嫌なんですよ。そう、幼児体験といいますかね」
「日本人は威張る」、黄氏の日本への評価は辛口である。しかし、同時に極めて客観的でもある。

「私は二十六歳まで、昭和三十三年のクリスマスの前まで台湾にいました。蒋介石、蒋経国親子の恐怖政治をじかに経験したんです。そして、これはぶっ壊さんといかん、と思うほどひどかった。一方、日本の警察は、威張っていたけど、法律を守っていれば何も恐れることはなかった。実害はなかったんです」
 黄氏は、現体制に批判的な人間を片端から捕まえて銃殺してきた国民党の官憲に比べれば、日本の官憲は威張っているだけで、実害がなかったと言われるのである。
 丁度台湾で取材に当たっていた頃に目にした雑誌『なるほどザ・台湾』という本で、日本時代の官憲が、たいした罪もない台湾人を、拷問して殺したこともあった、というのを見たので、こんなことが、本当にあったのかどうか聞いてみたが、「そんなことがあるわけないじゃないですか」と、一蹴されてしまった。
「植民地であっても日本人は法を守るんですよ。法が悪法であろうと、いい法であろうとね。とにかく規則には非常にやかましいですね」

 黄氏は、現在台湾独立建国連盟主席であり、日本で長く台湾独立運動を展開して来られた。日本、台湾双方の事情に精通する人物である。このような人が国策顧問にいれば、日本人にも心強い。
 我々は続いて、やはり総統府の国策顧問である許文龍奇美実業会長へとインタビューを行った。



※許國雄著 『台湾と日本がアジアを救う−光は東方より』のご紹介はこちら

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