−連載コラム−
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台湾独立の胎動 No.R
−「新台湾と日本」取材班

心ある日本人の奮起


 この李登輝前総統の訪日断念は、心ある日本人に更なる奮起を促さずにはいなかった。当社が制作した映画『新台湾と日本』の上映も各地で展開された。また、台湾問題の講演会も数多く開催され、映画にも出演している黄文雄氏や蔡焜燦氏らが各地で招かれた。

 そのような中、平成13年1月27日には、李登輝前総統が母校コーネル大学を訪問するため、5月に米国を訪問することか明らかになった。中国との融和政策を取ったクリントン政権でさえも、私人としてならば李氏の入国を受け入れる意向であったといわれているが、ブッシュ新政権はより積極的にビザを発給する方針であるという。この訪米が実現すれば、その帰路に日本へ立ち寄ることも可能かもしれない。実際、李氏はそのような予定を立てていた。
 心ある日本人は「今度こそ」、そう強く心に思った。
 2月末には、台湾で小林よしのり氏の『台湾論』の中国語版が発売され、これに登場する蔡焜燦氏や許文龍氏が、台湾の統一派(大陸との統一を望むグループ)からの激しい攻撃を受けたり、更には、日本で出版されている蔡焜燦氏の著書『台湾人と日本精神』が突如絶版にされるなどの事件も起きたが、日本・台湾の友好を精力的に進めてきた団体は、団結して、李登輝前総統の訪日の機運を大いに盛り上げたのであった。



訪日実現の経緯

 
 4月に入ると、米国訪問の帰路に日本へ立ち寄りたい、と李前総統側から非公式に打診してきたことが明らかとなった。衛藤征士郎外務副大臣は、4月5日の記者会見で、「具体的な打診があれば(中国の意志とは関わりなく)主体的に判断する」と発言。10日正午前、李前総統は、代理人を通じて訪日のための査証(ビザ)申請書を交流協会台北事務所(事実上の駐台日本大使館)へ提出した。それも、当初の訪米の帰途の訪日という計画を変更し、訪米前の今月下旬にしたい、との申し入れである。ビザ申請書類と共に、前年11月に李氏が台湾大学病院で心臓の冠状動脈狭窄のカテーテル治療を受けた際に立ち会った倉敷中央病院の光藤和明医師(同医療法の世界的権威)による「必要な再検査の期限が迫っている」「今月24日に検査・治療を行う準備ができている」との意見書が提出された。

 しかし、交流協会台北事務所は、「書類は提出されたが受理していない」とし、ビザ申請の事実を隠蔽しようとした。同日中国外務省報道官は、定例記者会見で、「われわれは李登輝がいかなる名目や形式で、世界のどこに出かけて中国の分裂活動を行うことにも断固反対する」と述べた。

 11日、福田内閣官房長官は、記者会見で「交流協会に確認したところ、ビザの申請および受理はないということだ」と説明。一方衛藤外務副大臣は、「ビザ書類一式は交流協会事務所に預かっている」とし、早急にビザ発給を決断するように電話で進言した。しかし、ビザ発給の決定は一向に行われなかった。これに対して、在日台湾同郷会、台湾研究フォーラムが外務省前での座り込みを決行するなど、抗議行動が相次いだ。
 河野外相は13日、李氏側から正式なビザの申請はないとの見解を改めて表明した。自民党内や、閣議後の閣僚懇談会でも批判が続出し、早急にビザを発給するよう申し入れたが、河野外相は慎重な姿勢を崩さなかった。

 日本政府の煮え切らぬ対応に、15日、李前総統は怒りを露にした。記者会見を開き、「日本政府はウソをついている」「今月10日に交流協会台北事務所で提出したが、その中には私のパスポートも入っている」と述べた。日本政府に迷惑をかけることに、かつてあれほど気を遣った李前総統が、日本政府を「ウソつき」呼ばわりしたのである。

 18日には、公明党も党としての意見集約を断念。同日、ついに政府は「医療目的に限定」「政治活動をしないこと」を条件にビザ発給の方針を固め、翌20日、ビザ発給を正式に決定した。これに対し、李氏は謝意を表明した。

 22日、李前総統は予定通り来日。人々は歓迎の準備も整わぬまま、関西国際空港へ駆けつけた。しかし、李氏の通るルートも不明のうえ、飛行機の時間が変更になり、空港での歓迎に参加することのできたのは約400名ほどであった。実際に、日本人が李前総統を迎える気持ちはこの何百、何千倍も大きかったことは付言しておく必要があるだろう。

 李氏がその日宿泊した大阪の帝国ホテルにも、多くの人々が集まった。歓迎の祝賀会の途中で、李前総統はわざわざ部屋の外に出て、これらの人々に手を振った。たちまち「台湾万歳」の声が起こり、「日の丸」や在日台湾同郷会の旗が振られた。
 ここで特筆すべきは、日本人が「台湾万歳」を叫ぶと、台湾人は「日本万歳」を叫んだことである。「日本万歳」は、李前総統の前で幾度も唱和されたのであった。甚だ不十分な形であるにしろ、李前総統の来日が実現したことの意味の大きさを、この「日本万歳」は物語っているのである。



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