−連載コラム−
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台湾独立の胎動 No.I
−「新台湾と日本」取材班

疫病を防いだ義愛公

  台湾教育の魁(さきがけ)となって斃れた六士先生について、前号で少し触れたが、台湾人によって日本人が祀られている例は他にもある。

  台湾檜の産地として知られる嘉義から車で一時間ほどの東石郷副瀬村に、富安宮という小さな廟(道教のお宮)がある。主神は、中国の武将である五府千歳だが、同じお宮の中に「義愛公」と呼ばれる日本人が祀られている。「義愛公」は、霊験あらたかで人々の信仰を集めているという。
「富安宮は、とても小さなお宮ですよ。地元によくしてくれた日本人だったので、村人が恩義を感じて廟をつくったんです。お堂は、村の委員会が管理しています」
 案内をお願いした元教員の蔡徳本さんが、そう説明してくれた。

  この「義愛公」は、もともと明治三十年(1897)に台湾に巡査として渡った日本人森川清十郎巡査のことで、農業の指導や病人の面倒を見るなど村のために尽くし、村人からとても慕われたようである。
 我々が、富安宮へ行くと、日本人と見て村の人々が集まってきた。かなり田舎なので、日本人が珍しいのであろうか。

 村人の一人黄招財さん(71歳)は、森川巡査について次のように語る。

「病人をおんぶして病院へ連れて行ったり、屋根が壊れているときは、屋根の修理までしてくれました。米びつを見てお米が入ってないと同情して、お米を分けてくれました。私が村の年寄りから聞いた話なので本当の話です」
 村人思いの森川巡査は、日本の台湾総督府が漁業税を課した際、税の軽減を総督府の東石支庁へ願い出た。しかし、森川巡査は、このことでかえって東石支庁から、住民を扇動していると誤解され、懲戒免職を受けてしまうのである。そして、事態を悲観して終に自決してしまう。巡査の亡骸を発見した村人たちは、声をあげ嘆き悲しんだという。行政当局は、慌てて懲戒処分を取り消したが、亡くなった巡査はもう戻らない。明治三十五年のことであった。

 月日は流れ、大正十二年(1923)、副瀬村の周辺でコレラや脳炎など伝染病が流行し、深刻な事態に至らんとしていた。村人が不安のうちに日々を過ごしていた二月のある夜のこと、村長の枕元に制服姿の警官が立ち、伝染病の予防方法を教えた。村長は、その人こそ村で語り伝えられてきた森川巡査に違いないと、村人たちを集め、「お告げ」の通りに対策を講じると伝染病は沈静化していったという。
 村人たちは、森川巡査への感謝の気持ちを込めて、巡査の制服姿の木造を造り、神として富安宮へ祀ることにしたのである。その尊称は、巡査の義と徳を追慕するために「義愛公」とされた。
 木像は、高さ一尺八寸(約55cm)、マントをした格好で他の神像と一緒に祀られていたが、我々が訪れると、村の人々が神座から出し、マントを外して間近で見せてくれた。

  「義愛公」の神像は、霊験あらたかで、「不治の病」であると病院が見放した患者が完治したこともあるという。このため神像は、人々の求めに応じ、廟の外へも出張するようになったが、あまりの人気のため、神像はやがて三体に増やされた。その後、数は更に増え、今いったい何体あるのか聞いてみると、
「現在台北に三十六。屏東に八つ。嘉義や朴子にも行かれています」と村人の一人が答えた。しかし、合計については、神像が全島を「巡っておられる」ので、誰にもわからなくなっているようなのである。案内して頂いた蔡徳本さんの話では、約八十にのぼるだろうという。

 神像は、森川巡査の誕生日である旧暦の四月八日に、よそへ貸し出してよいかを義愛公へ尋ね、「よい」とお告げがあれば、その後貸し出される。そして、一年後の四月八日にまた富安宮へ戻って来るのである。その時は屋台芝居が出て三日間盛大なお祭りが行われるという。このお祭りには、森川巡査のお姉さんの息子さんが、よく参加したらしい。


 森川巡査の神像の一つは、村人に付き添われて日本へ里帰りしたこともあるという。帰った先は、森川巡査の遺族の住む横浜である。我々取材班がここへ来たことを聞いてかけつけてきた、という林蓬源さん(75歳)も日本まで神像に同行した一人である。
 「台北にある神像の一体を、日本へお連れしていいかと聞いたら、とてもうれしい、とお告げがありました。総勢三十六人で行きましたが、途中で道に迷い、警察に道を聞きました。警察の人は、家までわざわざ案内してくれました。みんな快く迎えてくれてよかった。日本はとてもいいところです。衛生がとってもいいです」
 森川巡査の孫に当たる方が、先祖がお世話になっているということでお金を包んで渡してくれたというが、村の人々はそのお金で更にもう一体神像をつくった。
 黄招財さんは、「台湾人が日本人のために、こんなにいいことをしていることを知ってほしいのです」と述べた。
(続きは No.Jへ)

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