「太平洋戦争」で日本が敗北し、列島に貴国アメリカ人兵士が満ちあふれたとき、「キルロイ・ウォズ・ヒヤ」という言葉が彼らの間から聞こえてきた。「王殺し、ここに来たれり」とでもいう意味らしい。あちこちの壁に、彼らは得意げにそう落書きして回った。「独裁者ヒロヒト」と「軍国主義者たち」の手から、哀れな日本国民を解放してやるのだというメシア思想の宣言であったろうか。
しかし、連合軍総司令官マッカーサー元帥が、ある日、そのオフィスに、日本国天皇の訪問を迎え入れた瞬間から、歴史は別の色合いへと転じたのである。あらゆる敗北の君主と同様にヒロヒトも命乞いに来たとばかり思いこんで、傲然とパイプをくゆらせていた勝利者に向かって、日出ずる国の天子はこう仰せられたのだ。
「朕の忠良なる国民に代わって朕を罰せよ」と。
元帥はこの言葉を忘れかねた。のちに、朝鮮戦争の責任をとって解任され、離日する際に将軍が言い残した言葉は、こうだった。
「私は世界最高のジェントルマンを知った。それは日本の天皇である…」
このエピソードには、おそらく、日本にかかわる本質的に重要な何かが含まれている。それが分かれば日本が分かり、分からなければ日本が分からないような、何かである。
「ジェントルマン」とは、かつての我々の国においては「サムライ」であり、あなたがた西欧人の国々では「騎士」であった。西欧と日本は、それぞれ「騎士道」と「武士道」と呼ばれるジェントルマンシップを創造した文明である。お互いに分かりあえないはずがないルーツを持っている。どうか、この名−紳士の名において、以下の言葉を開き、我々と真の対話の関係に入っていただきたい。
* * *
率直に言って、ここ数年来、貴国を舞台として悪化の一途を辿りつつある或る種の反日活動に、我々は深く憂慮の念を抱いているのである。貴国を舞台に、と言っているのであって、決して貴国の人々が仕掛人と申しているわけではない。仕掛人は第三国にある。ただ、あえてアメリカ人を陪審員席に据え、これに向かって、明らかに或る明瞭な政治的意図から、我々の誇りとする祖国の歴史と文化を歪曲して呈するやりかたに、我々は長嘆息し、こう問いを発せずにいられないのである。
《当初、「日本の専制君主」を絞首刑にすると意気込んでいたマッカーサー元帥でさえ、感激のあまりその態度を180度転換するに至ったほどの、至高の無私公正の存在たる日本の元首、天皇について、いまなおその「陰謀」によって日本は「世界征服」に乗り出したと言いつのり、さらには、ユダヤ人虐殺の嵐のさなかにおいて、世界中でただ一国、日本だけが人種差別撤廃を国是として数え切れないユダヤ人を救った事実があるにもかかわらず、ナチス・ドイツの悪業、すなわち「ホロコースト」を日本もやったのだと弾劾し続けるのは、いったい何故か?》と。
1997年7月にアメリカで出版されたアイリス・チャンの『南京のレイプ』の主張と、それに煽動された反日キャンペーンの渦が、我々日本人に掻き立てた反応は、きわめて抑制した表現をもって述ベるならば、ざっとそのようである。
最初から政治目的をもって始まった扇動なるがゆえに、単なる読書界の出来事をもって終わらない政治事件へと、仕掛けたとおりに事は発展していった。「周辺議員に働きかけよう」との同書著者のアピールと、「日独同罪論」を唱える諸団体とが結びついて、1999年8月23日、カリフォルニア州議会が日本軍の「残忍非道な罪」に対して非を鳴らし、謝罪と賠償の決議を下すまで、黒雲を巻いた毒竜が我が列島に火焔を吹きかけるまで、まさに一濁千里の勢いだった。
これら諸団体は、「日本の戦争犯罪を蒸し返し、改めて日本政府に謝罪と補償を求める」目的で、1980年代後半から続々と中国系アメリカ人によって結成されたことをもって一大特徴とする。今回、カリフォルニア州議会の決定に影響をあたえた《アジア地区第二次世界大戦史擁護世界同盟》なる団体も、同州に基盤を置いてアイリス・チャンを支援する中国系反日組織連合体に他ならないものである。
かたわら、こうした風潮に勢いづけられて、米国人の元捕虜たちが、まことに信じがたいことに、「日本はナチス・ドイツの同盟国だった」という理由を楯に、戦時下、彼らに強制労働させたという在米日系企業を提訴する動きを見せ始めた。この動きは1999年に入ってから加速化し、ロス・アンゼルス、ミネソタ、ニュージャージー州などが相継いで告発の趣旨を立法化した。いまやこれは全米的な集団提訴の観を呈し、その賠償請求額は、実に一兆ドルにも昇ると噂されるまでに至った。
しかし、良識ある西欧人なら、こうした雪崩現象を見て、どこか胡散臭いとは感じないだろうか。「アンチ・セミチズム」という言葉があるように、そこには、どこか、「アンチ・ヤマトイズム」とでもいうべき反日主義の原理が働いていはしないであろうか。そして更に、戦後日本の歴史を幾分かでも知る人なら、このような疑問にとらわれないであろうか。
《日本は、これら抗議者の主張とは反対に、戦後補償を立泥にやってきたではないか。そもそも1951年のサンフランシスコ講和条約をもって補償問題は決着がついていたのではなかったのか。
ナチスなみのホロコーストによる「人道上の罪」というが、東京裁判でさえ、ニュールンベルグ裁判と違って、この罪名をもっては刑囚を裁くことができず、通常の戦争犯罪を通用するに留まったではないか。それでも日本人は、ただ敗者というだけで、一片の抗弁も認められず、「A級戦犯」7人を含む1100人ばかりの同胞将兵が戦争犯罪人として処刑きれる光景を見ることに耐えたのだ…》
いや、ホロコーストはあった、それが南京なのだ、との声が、それでも挙がるであろう。
本書は、「五月蝿(さばえ)なす」と我々が古語にいうところの、かかる淫声に向かって書かれた反論にほかならない。その手法とは、いわば、ミステリー・ノベルのそれである。
「殺し」の数にかかわらず、かりに「南京」とは一つの殺人事件だったと見立てて、読者自身、推理してみては如何であろうか。
大量殺人があった、と主張する原告がいる。中国大陸から日本人を指さして、犯人だという。1917年12月の事変以来、ずっとそう言い続けている。
1940年、東京裁判によって責任者の松井石根司令官を捕えて絞首刑に処した。が、50年たって、再告発してきた。殺人数も、その間に、1万2千人の「小虐殺派」から、4万2千人の「拡大派」をへて、いや、10万以上、20万以上だと、そのたびに猫の日のように変わる「大虐殺派」の主張へと水増しされてきた。ついには「30万は政治決定だ」と堂々たる(!)託宣をもって、1985年、南京大屠殺記念館が建てられ、入口に「遭難者300000」と大書されるに至るまで…。
かくして、人類史上、アウシュヴィッツで初めて使われた「ホロコースト」の文字が当てはめられるまでに至る。なんと、60年さかのぼって、である!「忘れられていたホロコースト」と言うのだ!
こんな歴史的大事件が、殺人数もころころ変わり−10万人単位でだ−しかも「忘れられていた」とは!
が、まあ、よかろう。であればこそ、再告発に応えて、我々のほうこそ、再審を、むしろ望むところなのである。そして我々が、陪審員席に座するアメリカ人諸氏に期待するのは、言いたい放題の原告の言い分をさんざんに聞かされたあとで、今度は被告の言うことにも公平に耳を傾けていただきたいということなのだ。
殺人事件というなら、犯人がどこかにいるはずだ。死体はあるのか。目撃者は?殺しの動機は?
そもそも殺人とは、それによって利益を得る者が犯人と通り相場が決まっている。ホロコーストがあったというなら、それによって、いったい誰が利益を得たのだろう。
ヒットラーの場合は、アウシユヴィッツからプッヘンヴァルトに至る何十箇所のガス室によって、「種の優越」思想を証明するという利益を得ようとした。
「南京国際委員会」と各国ジャーナリストの監視の目が光る首都南京の真只中で、戦闘とはいえ、人口数を上勝る――かりにそれが可能だったとして――ほどの殺毅をやってのけることで、日本軍の得る利益などというものがあったのか。要するに、日本の文化に、そんなジンギスカンかアッティラ大王なみの殺戮をゆるす「元型」があっただろうか。「一木山草をも残さない」というような。
「ホロコースト」というなら、元々、中国にあったものこそ、それではなかったか。抵抗すれば城内の老若男女ことごとく抹殺しつくすことは、一種の国際法として、唐代以来、この国に認められていたことで、清朝にまで、それが続いてきたことは、その史書が証しするとおりである。「屠城」とそれを呼び、単なる城攻め「抜城」とは全然異なっていた。女は、ただ犯されるだけではない。裸にされ、髪の毛で梁に吊され、乳房を削ぎ取られる。何のことはない。これは、日本軍が来たらこうやられるぞと、蒋介石軍が、ぎごちない絵まで描いて宣伝ビラに仕立て、あらかじめ民衆にばらまいていたもののモデルであり、アイリス・チャンがおどろおどろしく書き立てたことの下敷ではないか。
けだし、文化とは、愛しかた、殺しかた、嬲りかたにまで現れるものであって、自国のその元型にないものは、特殊の狂人を除いては人は体系的にやりはしないのだ。にもかかわらず、なぜ、あえて中国人は、日本人にそれを仮託したがるのか。
西欧の心理学は、それを説明する用語を持っている。「レミニッサンス」であり、「投影」である。一千年間にもわたって祖先のやってきたことは、「無意識的記憶」すなわち「レミニッサンス」となって生きつづけ、相手にそれを「投影」せずにはいない。マクベスを駆り立ててライバルを殺される魔女のように。
「日本と中国は、愛の原理、死の原理、そして音楽の音階と、この三つにおいて根本的に異なっている」。
アンドレ・マルローのこの言葉が甦ってくる。「南京」は、一つの歴史のケースであるだけではない。比較文明論の絶好のモデルなのだ。
南京事件は、一見、きわめて複雑な殺人事件と思える。しかし、もし諸賢が、名探偵たるの条件、すなわち明察(claire
voir)の心をお持ちであれば、クノックスの迷宮に分け入る「アリアドネの糸」が見えてくるのではなかろうか。アンチ・セミチズムを生んだ有名な偽書、『シオンの長老の議定書』があったごとく、アンチ・ヤマトイズムを生んだ偽書、『田中上奏文』があったごとき、それである。
1925年にソ連の国家保安部、GPE(KGBの前身)によって作成された「天皇承認済み」と称する「日本の世界制覇のプロジェクト」は、中国とアメリカを通して世界的に喧伝され、日中戦争が起こるや、中国ではエドガ−・スノーと組んだ宋慶齢を通して、また有名な西欧15人衆の「南京安全区国際委員会」を通してフル機能しはじめた。
そして南京から8年後、東京裁判の時いたるや、キーナン検事が「お前たちはそもそもの初めからして世界制覇のコンスビラシーをもって満州侵略と中国侵略を企てたのではなかったか」と責め立てるうえに、影の威力を発揮したのである。「A級」被告人らは目を白黒させるばかりだった。「夢にも思い及ばざること」と、呆気にとられて、東条は答えるほかはなかった。さすがに、聡明なる連合国判事団は、『田中上奏文』なるものは偽書だったと気づかざるをえなかったのである。
それから半世紀、日本の自己喪失をいいことに、「南京」の旗印を掲げての謝罪要求活動は、いまやビジネス化した。昨年12月、大挙して来日しフォーラムを開いた反日多国籍軍団の先頭には、日本人も含めて弁護士がびっしりくっついている。しかし、あなたがたが、偽書製作から70年余りのちの「南京のレイプ」断罪運動でやっていることは、依然として人種偏見も甚だしい反日主義運動の蒸しかえしにほかならないと知るべきである。もっとも、「マサダの砦」以後二千年間も続いた反ユダヤ主義の醜行に比べれば、まだまだ始まったばかりともいえるが。
一方で「誇大の罪悪を言い立てて際限もなく金を揺すり」(AFP特派員、A・スムラー氏)、他方で世界の場で道義的ダメージをあたえる――現代中国の対日「南京」作戦は、この二面で遂行されている。中共政府肝入りで『ラーベの日記』の映画化が進められているごときも、その例である。
アイリス・チャンは言う。「ラーベこそ、中国人にとっての活仏、・南京のシンドラーなのだ」と。大いに結構。悪玉日本を碧眼の義人「シンドラー」が叩いて、「殉難者」中国人を「ホロコースト」から救う物語は、大いに西欧人の自尊心をくすぐり、興行的成功を収めるかもしれない。だが、南京「安全区国際委員会」委員長、ジョン・ラーベについて、我らが読者は別の面貌を見いだすであろう。第一、リアル・タイムで「事件」を英・独・日の官辺に報じたのはいいが、相手によって「虐殺数」をそれぞれ「数百」「数千」「52人」と使い分けた男の、どこを信じたらいいというのか。ナチス党員だったラーベは、別の政治目的から、さらにヒットラーあてには「数万人」と報告していたのである!
我々としては、また、こうも言いたい。ラーベが「南京のシンドラー」だというなら、実際に何千人ものユダヤ人を救ったリトアニア領事、杉原千畝は、何と呼んだらいいのか、と。しかも「スギハラ」は日本では一人ではなかったのである。
最後に、もう一言。以上の論述は、中国の「孫子」以来の兵法のスキームに重ね合わせてみれば、いっそう真実を明瞭に暴くだろうということである。
中国にとって「南京」は、元来、日中間で論じられるべき問題を、あえて「遠交近攻策」により、アメリカを味方に引きこみ、日本を抑えこもうとして仕組んだ大芝居の序曲であることは言うまでもない。そのもくろむところは同盟国たる日米離間であり、アメリカという異国をもって日本という異国を制する戦略は、「以夷制夷」と彼らが呼びならわしてきたお家芸にほかならぬ。
同様に、南京を言い立てることは、ガス室からヒロシマに至る西欧の罪禍を希釈するうえで、一石数鳥の妙案でもあるのだ。だが、その場合、自身にとってのチベットと天安門は、どうなるというのか。
思わず、我々の声も高くなった。戦後半世紀あまり、何を言われようと、それを原則として頑に沈黙を守り続けてきた我が国政府の外交姿勢に幻滅してのゆえと、ご理解願いたい。
犯人は誰か。日本は有罪か、冤罪か。
それを決するのは、陪審員席のアメリカ人の皆さんなのである。
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