■ 今、なぜ教育基本法改正なのか 
―現行教育基本法の問題点 

 我が国の教育のあり方や、制度についての原則を定めた「教育基本法」は、僅か11条しかないのに、その内容はあまり知られていません。
 また、「教育基本法が変わっても学校教育には関係ない」という意見や、「教育基本法が改正されても、何が変るのか判らない」といった意見も数多くあります。
 現在の教育制度の問題点は、教育基本法と密接な関係にあり、この法の不備が我が国の教育制度の欠落となって表れています。

      教育激変
新教育基本
法案がめざす「家庭」「学校」「日本」の10年後

教育基本法をどのように改正すれば、学校、教員、地域社会との関係、家庭との関係、愛国心や公共心・道徳、伝統・文化などの教育内容が、どのように改善されるのか。
          下村博文 刊行に寄せて

現行の教育基本法と指摘される問題点
(昭和22年制定・現行法)


前 文
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
制定途中で「伝統の尊重」が削除された
 教育基本法案に盛り込まれていた「伝統の尊重」。ところがいつしかその文言は消えてしまいました。制定当時の日本は米国の統治下にあり、通訳が「伝統」を「封建社会」と誤って翻訳したためであることか近年になってわかりました。こうして日本の歴史や文化への愛情を育むという教育理念が欠落したまま、60年近くの年月が過ぎ去ってしまったのです。
第一条
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。
「人格の完成」は、誰がどうやって推進するのか?
 教育基本法の中で、高尚な教育目標として宣言された「人格の完成」ですが「自由放任」で人格は磨かれません。国民共通の徳育の理念を定め、これを教育の場で実践することが大切です。
日本人の愛国心は世界の中でも下位に
 読売新聞社の調査によると、「国籍についてどう考えますか」との問いに、20才前後の40%、女性だけでは51%が「他国の国籍を取るのもいい」と答えています。(20世紀にっぽん人の記憶)
 別の調査では、「自国民であることへの誇りを持つ」と答えた人の割合は54%に過ぎず、世界でも56位です。(平成12年電通総研・日本リサーチセンター「世界価値観調査」)
第二条
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。
 A この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に則し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

「学問の自由」が濫用されてきた
 「学問の自由」の規定を濫用することで、先生が教科書を使わず自分の思想を注入したり、教員個人が教えたいことだけを教えることを容認してしまいました。大学生ならいざ知らず、義務教育段階で「学問の自由」の濫用は、子供がやりたいことをやりたいようにさせることに結びつく結果をもたらし、「自分の気の向いたことを、気の向いたときにしかやらない」「何をやりたいのかわからない」人間を大量に生み出してきたのではないでしょうか。

子供たちの学力は大丈夫なのか
 小学校6年間の主要四教科(国・算・理・社)の授業時間数は、30年前と比べ約1000時間削減されています。これで本当に基礎学力が身につけられるのか、不安になります。
第三条
 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。
 A 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。
第五条 
 男女は、互いに敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。
「機会の均等」が「結果の平等」として悪用されてきた
 教育基本法が謳うのは、能力に応じた機会の均等です。しかし「ひとしく、その能力に応じた教育」という現行法の文言では、機会の均等ではなく、結果の平等を保証するかのような解釈を生んでいます。現に学校で行われている成績表の一律評価や、運動会の徒競走で順位をつけず、みんなで手をつながせてゴールするといった例は、競争をなくし能力を正当に評価しない極端なものです。
 また、男女平等の精神に反するとして、長年歌われてきた校歌を替える学校も出ています。
第四条
 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
 A 国または地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。
六・三制は現状のままでよいのか
 六、三制の導入から六十年。導入当初、高校進学者はまだ少数でしたが、現在高等学校への進学率は100%近くなりました。自治体によっては、中高一貫制度の中等学校や小中一貫校など、多様な学校形態が生まれ、中学、高校の意味づけが改めて必要な時期を迎えています。
「義務教育」は誰が責任を取るのか
 現在の法律では、小中学校の義務教育は市区町村、高等学校は都道府県の教育委員会が責任主体となっています。
 財政構造改革が政府の重要課題となり、義務教育に充てられる予算約3兆円のなかから、8500億円を削減、財源を地方に委ねるという議論になりました。義務教育の国庫負担を廃止すると、40道府県で財源不足になるとの試算が出されています。このことは国民育成の最も基本的な義務教育について、地方によって大きな格差を生じる危険性をはらんでいます。このような財政論主導で政策が定められようとしていることは大問題です。
第六条
 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
 A 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。
人材を確保し、雇用の安定を図る規定が「問題教師」を放置
 敗戦後の混乱や、制度改革などの中で、教育を担う教員を確保し、雇用への不安をなくすための規定が、今では過度に身分保障をする結果をもたらしています。
 教育基本法の規定は、今日、指導力不足教員、不適格教員を温存するよりどころとなってしまいました。俗に新聞沙汰を起こす問題教師が全体の1%、その予備軍のお粗末教師が10%といわれます。児童・生徒、保護者の信頼を得るためには、教員養成や採用、日常の研修と教育活動への評価など、それぞれの分野で大胆な制度改革と意識改革が必要です。

第七条
 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければなない。
家庭教育が軽視されてきた
 過去10年間で、児童虐待相談件数は20倍にも増えており、悲惨な事件が報道されるたび、「どうしてもっと早く手を打てなかったのか」という言葉が口をついて出てきます。「家庭はプライバシーの領域」として、本来の家庭の機能を強化することについては、何もしてこなかったといえます。現在の家庭を取り巻く状況は60年前とは大きく変貌を遂げ、家庭・家族に対する行政の支援のあり方を見直す時期に来ています。
第八条
 良識ある公民たるに必要な政治的教育は教育上これを重視しなければならない。
 A 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
学校での政治活動禁止は、今後も堅持を
 公立学校で偏向した党派教育がおこなわれてはならないのは当然です。しかし長い間、特定の政党を支持する教職員組合や運動団体が、学校の職員室や教室を拠点に政治活動やストライキ、選挙活動を行ったり、学習指導要領を無視した偏向教育が行われてきました。
第九条
 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
 A 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。
米国の圧力で「宗教的な情操の涵養」が改められた
 制定当時、占領下にあった我が国では、米国の干渉により「涵養」が「寛容」に変更を強いられ、「宗教教育」の禁止と受け取られる風潮が生まれました。その結果、公立学校から「宗教」について学び、心を動かせるという教育活動がタブーとなっています。
こんなことまで宗教行為?
 給食の前に合掌して「いただきます」と唱和することや、武道場で礼や黙想をするための神棚が撤去されたりしています。

第十条
 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
 A 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
国や自治体の「行政」も「不当な支配」?
 現行法の「不当な支配」の文言は、政府や地方自治体も該当すると解釈されたため、過去五十数年間、教育界では行政と教職員の深刻な対立が生じ、我が国の教育を衰退させる要因となってきました。
 学校では、教職員組合や運動団体が、文部科学省や教育委員会の学校運営、教育内容など指導を「不当な支配」として対立する構造がありました。
 国民の教育水準を向上させるための基準(学習指導要領)や、その判断に資するための学力テスト、質の高い公教育を保証するための教員の勤務評定までもが否定されたのです。
第十一条
 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。